うたかたの軌跡

第三部

「解ったわ・・・戻るというなら止めない。」

「でも約束して。仕事を済ませたら必ずここへ戻って来るって。」

優しく頼もしい姉妹。
いつでも姉のように、言葉で身体で支えてくれた。

「うん・・・」

藍の髪を持つ赤子を胸に抱き、それでもあの頃のような
無邪気な笑顔を見せるアリーナを二人は丸ごと抱きしめた。



「私が送って行くわ。」

マーニャの申し出をアリーナは頑なに断った。

「それはだめ・・・。」


「どうして?途中には敵がいるんでしょ!目的地まで運ぶわ。」

「国土のあらゆる場所に結界が張ってあるの。強引に入って網に触れると一気に呪者の罠にはまるわ。」


「王家を支持してくれていた民をルーラで一気に国外へ運んだの。その帰りにブライを失った・・・・・」


「爺さんが!?」

「私とクリフトを敵の魔法陣から解き放つ為に自ら・・・・・・。」





未来に繋がる可能性を持つ若者を残すのが道理ですじゃ。
ワシにはもう何も産み出せませんからの・・・

そこはほれ、頼みましたぞ!


飄々と笑って彼は光る魔法陣の中へ踏み込んでいった。
激しくぶつかり合う魔力・・・どちらかが消えるまで続く。

ブライによって放り出された二人は、遠くなっていくその力が最後に大きく弾けたのを感じた。







アリーナは赤子をミネアの腕に預けた。
その柔らかな髪に触れる。くすぐったそうに笑っている。

「この子の事はブライにも頼まれたから・・・。」

「解ったわ・・・。」




「お願いね。」

三人と小さな一人は笑顔で分かれた。







































最後の砦は破られていた。
城内は反徒の兵達が踏み荒らし、価値あるものは奪われ、権力者達の制止を聞く者などありはしなかった。今度は権力者達がその兵を抑えるために雇った武人達 との闘いが始まっている。




醜かった。

かつての闘いで荒らされた城の中を闊歩していたどの魔物達よりも醜いと思った。

人の心とはここまで闇に近いものか・・・。






最後まで闘ってくれていた王家の兵達の多くは討たれ、命あるものは逃亡を余儀なくされている。しかし現在、王の兵を執拗に追う者も多くはいない。


アリーナは残った兵達に最後の指示を与える。

「生きなさい。今なら国外へ出る事も叶うはず。必ず生きてこの魔の巣窟を出なさい。
私さえいなければ彼らはあなた達を追うことに兵を使う事もないでしょう。」

「姫様・・・それは出来ません。」

「いいえ。逃げて、そして国外へ出た民と共に人々へ伝えて下さい。人の心が闇に呑まれ流される事がいかに容易い事かを。己を御し正しき事を見定めるのが 如何に難しく困難な事か。そしてそれが如何に大切な事かを・・・。」

「これは命令ではありません。サントハイム王の娘、アリーナの最後のお願いです。」



反論する者はいない。
出来ようもなかった。




































追手の姿がようやく見えなくなった。



アリーナは森の中をひたすら走って行く。
追手に打たれた矢は深々と肩に刺さったまま。
流れ続ける血はいつしかブーツの底に溜まり、足を取られる程だった。

息が上がる。
視界が霞み血流が足りていない事がわかる。

しかし留まることはしなかった。
何かに追われるように、何かに導かれるように足を動かす。

生き残った兵士達に聞いた。
この森はあの時の最後の前線だった。

クリフトが交渉に赴いた最後の地。

何故自分の足が歩みを止めないのか、やっと解った。

木々が作る木漏れ日の中その揺らぎに合わせて瞬く懐かしい光を見た。
一歩一歩近づく毎にそれは鮮明になっていく。







「ここに・・・居たね・・・・」





懐かしい緑色の神官服は色あせて殆んど朽ちている。
しかし、しっかりと右手に握られているそれは、間違いなくあの時彼に預けたロザリオだった。



「逢いたかったよ・・・」




アリーナは静かに身体を横たえる。
矢を受けた傷の痛みはもう感じない。
ロザリオを握る手にそっと手を重ね、静かに目を閉じた。


「ちゃんとブライとの約束は守ったからね。追い返さないでちゃんと一緒に連れていって・・・」




静かな時が流れた。
あの旅の間、闘いに破れ死の迫る瞬間、何度も光の壁に道を遮られこの世に連れ戻された。導かれし者の誰もが一度は経験している。

この後はどうなっちゃうのかな・・・

疑問に答えるように握り返してくる手の温もりを感じた。
先程まで硬く乾いた棒切れのようだった彼の指が、あの懐かしい温もりを取り戻し自分を包んでくれている。

既に自分の身体の感覚も不確かなものだったが、それだけはわかった。


   ---  姫様.....  

微かな声を聞いた


横たえた体の触れている部分からも温もりが伝わる。

何度も見たあの光の壁が静かに開いていくのが見えた。

   --- やはり、もう来てしまわれたんですね。 

   --- うん.....でも精一杯頑張ったよ。

   --- 解っています。



二人は何時しか光の門の前に立っていた。
お互いを見つめる。
とても懐かしくて愛しい。

二人の手に握られたロザリオが一段と輝きを増し、光の門の先に続く道を示した。

   --- もう行ってもいいみたいですね......。
   --- うん....   

それはまるで教会のバージンロードのよう。
二人は一歩ずつ光の中へ歩みを進める。
しっかりと手を握りお互いの存在を確かめ合いながら。
まるで祝福の鐘の音が聞こえてくるようだった。

---  先が見えないね....

---  何所まででも歩いて行きましょう。どんなに先が長くても......

---  うん.....二人ならきっと楽しい

---  そうですね


二人が通り過ぎた門は再び眩い光の扉で閉じられる。
















この日ひとつの王国が終焉を迎えた。

















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