+++ 目覚め +++ 「クリフト、遠乗りに出かけましょ!」 初夏の日差しの中、アリーナ姫が馬を引きながらこちらへやってきます。 クリフトは教会の書庫から城の図書館へ書物を運んでいる最中でした。 「姫様・・・またですか?今回はちゃんと馬番に断ってから連れ出したんでしょうね!?」 「大丈夫よ。今回は持ち主に断ってきたからv」 「・・・・。」 (あれは騎馬隊長の愛馬では・・・今日はもう仕事にならないだろうなぁ。) クリフトは仕事の必須アイテムを奪われてしまった彼に心から同情しました。 アリーナ姫は思い立ったら即行動。その行動力は周囲に止める猶予を与えないのです。 今回はクリフトに声をかけてきただけ、まだましな方です。 姫を一人で送り出すわけにも行かないので彼はしぶしぶ承知しました。 「お供いたします。この仕事を片付けてしまいますので、少々お待ちいただけますか?」 遠乗りといっても二人が行けるのは城下町を少し抜けた郊外の森までです。 民家もまばらな田園風景を抜け、森に入るとすぐ川に遮られて行き止まり。 その先は姫が一度も足を踏み入れたことのない未知の世界。 クリフトですら教会のお使いで隣町のサランまでしか行った事がありません。 最近は夜になると魔物が出るという噂もあり、川向こうへ行くことは硬く禁じられていました。 二人の乗った馬は川べりで走りを緩めました。 慣れない騎手の手綱捌きに疲れたのか、完全に足を止め水を飲み始めています。 諭してももうクリフトの言うことを聞いてくれません。 諦めて二人は馬を降りました。 辺りを見回すと、川の水面は夏の日差しを受けて眩しいくらいに輝いています。 木々の間を抜ける風は二人の上気した肌を優しくなでていきました。 「わぁ、気持ちいい!」 クリフトが気付いた時、おてんば姫は既に川の中でした。 裾を濡らしながら膝まで水に浸かって足に触れる流れを楽しんでいます。 「姫様!危険です戻って下さい。」 「大丈夫!ここは浅いし流れも強くないもの。」 パシャパシャと水面を蹴り上げ、舞った雫を身体で受けている姿は本当に楽しそうで、クリフトはそれ以上止めませんでした。 (姫が飽きるまで待つことにしよ う・・・) もしものことが無いように川岸から細心の注意を払いながらクリフトは見守っています。 しかし時間が経つにつれて、クリフトが目を向けづらい事態になりました。 裾から水を吸った白いドレスはアリーナ姫の身体にしっとりとまとわりつき、飛沫は髪を濡らすだけでなく襟元まで滴ってきています。 (ちょっとマズかったかも・・・) クリフトの胸の内は既に穏やかではありません。 無邪気に遊ぶ姫は12歳・・・身体が作る曲線はいつしか丸みを帯び、幼さの中にもふっくらとした女性らしい膨らみも見られるようになりました。 そんなクリフトの気持ちも知らず、まるで自覚のない姫は魚の群れを追いかけて元気に走り回っています。 薄くて華奢な夏の布地は水を吸って更に胸元の形を際立たせていました。 クリフトは17歳。聖職者としての教育を受けているので理性的で我慢強く、何事も冷静に対処できるよに育ってきました。 しかし所詮はただの人間であり多感 な年頃の少年でもあります。 (もう限界だ、戻って頂かなくては・・・・) とクリフトが馬に積んできたローブを下ろしているほんの一瞬 「・・・ぅゎっ!」 アリーナ姫が何かを叫びました。 クリフトは驚いて川の中の姫に駆け寄ります。 「どうされました?アリーナ様!?」 「怪我しちゃったかも・・・。」 すこしバツが悪そうに見上げてきます。 姫の足元を見たクリフトは青くなりました。 膝から脛にかけて血が伝っています。 「姫様!とにかく上がって下さい。」 クリフトは姫の身体をローブで包んで抱え上げ、川の流れを蹴散らすように急いで岸に走りました。 「どこかお切りになったのでしょうか・・。」 「わかんない。痛くはないけど・・・。」 近くにあった切り株に姫を座らせ、肌身離さず持ち歩いている薬草袋を取り出します。 汚れた足元を布で拭きつつ赤く染まった裾を手繰りました。 「・・・!!」 赤い雫が内腿を伝って落ちるのをみて、さすがにクリフトも気づきました。 「わわわわっ!姫様!・・・・」 「そんなにひどい傷?」 クリフトの慌てようにアリーナ姫自身も不安そうです。 姫をローブで包みなおして馬に抱え上げ、クリフトも飛び乗ります。 力を込めて馬の腹を蹴り走り出しました。 「クリフト・・・?」 「申し訳ございません、姫様。私では処置できませんので至急城へ戻ります。」 馬上で抱えられたままアリーナはクリフトの表情を伺います。 力の入った腕から彼の緊張が伝わってきました。 (どうしよう・・・そんなにひどい傷のかな・・・。) アリーナ姫は益々不安になります。 城に入ってすぐ侍女達が呼ばれました。 とにかく一大事と姫の部屋までクリフトが抱えていきます。 「まぁ・・・クリフト殿が治療を断念されたなんて、いったい・・・・」 侍女達も何事かと姫の身体を検分し始めました。 「とにかく後はよろしくお願い致します!」 勢いよく部屋を出ようとしたクリフトに、アリーナ姫が縋り付きます。 「クリフト!私、死んじゃうの?クリフトが治せないなんて・・・。」 「いいえ、姫様!病気じゃありませんから、医者や神官の出番ではないのです。落ち着いて侍女や乳母達の言う事をよく聞いて下さい。いいですね。」 姫を部屋へ押し込むようにしてドアを閉めました。 一国の王女ともなればその手の教育はちゃんと受けているはずです。 しかし、その手の勉強の時間は侍女達の色話に話が反れてしまうことが多く、興味のもてないアリーナ姫は退屈で仕方がありませんでした。 その時間はいつも抜け出してクリフトを巻き込んで遊び回っていたのです。 クリフトは姫の不安そうな顔を見て胸が痛みましたが、半分は自業自得なのです。 (これに懲りて、少しは勉強して下さるといいけど・・・。) クリフト自身も学校の授業で勉強した範囲でしか知りません。 しかしこの事態が何を意味しているのかは分っていました。 (もう今までのように一緒にいられないだろうな・・・・) 彼は昼には神学校に通い教会の勤めをこなし、夜は寝る時間も惜しんで薬草や魔法の勉強をしてきました。 それ以外の許される時間は全てアリーナ姫と共に過ごしてきたのです。 姫と一緒にいられる事が嬉しくてどんなに忙しくても毎日必ず会いに行きました。 成長する姫の姿は眩しくてクリフトをドキドキさせます。毎日会うのが楽しみでした。 今はそんな時の流れが疎ましく、恨めしく思えます。 教会に隣接する自室へ戻る道すがら、クリフトは改めてお城を見上げました。 何か事ある毎に呼ばれ、時には夜中まで詰めていた事もあるアリーナ姫の部屋。 その窓の明かりをぼんやり眺めながら彼は長く深いため息をつきました。 「もう少しお側にいたかったなぁ・・・」 終了 |